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KANさん葬儀は夏目漱石の遺影で別れを自ら演出。返礼品はPOPなポップコーン

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ピアノの写真のアイキャッチ画像

200万枚を超える大ヒットとなった「愛は勝つ」。

誰もが知るヒット曲ですね。

この曲を歌われていた歌手のKANさんが2023年11月12日にこの世を去りました。

61歳でした。

2023年3月に「メッケル憩室(けいしつ)がん」と公表していたこともあり、それが原因だったのかも知れません。

入退院を繰り返しながら活動再開を目指し治療をされていたようなので、本当に残念でなりません。

「愛は勝つ」でオリコンのシングルチャートで8週連続1位、200万枚を超えるメガヒットをたたき出し一躍スターとなったKANさん。

この曲を聞いて励まされ勇気をもらった人は数えきれないほどいると思います。

私もその一人。

ピアノを弾きながら歌う姿が印象的でしたね。

芸能界からも追悼や惜しむ声がたくさん上がりましたね。

多くの人から愛されていたKANさんの偉大さがわかります。

患った癌についてや葬儀を夏目漱石の遺影で自ら演出したというので、まとめていきたいと思います。

目次

KANさん葬儀は“夏目漱石”の遺影で別れを自ら演出

茶色い棺の上に大きなピンクの花と小さい白い花が置かれている

KANさんは自らの命の終わりを予期していたのでしょうか。

葬儀の演出を考えていたなんて、考えるだけで辛いですね。

どんな演出をされたのか、患ったがんについても調べてみました。

KANさんプロフィール

本名:   木村 和(きむら かん)

生年月日: 1962年9月24日

出生地:  福岡県福岡市

血液型:  AB型

配偶者:  早稲田 桜子

学歴:   法政大学 社会学部

活動期間: 1987年~2023年

デビュー作:テレビの中に (シングル)

和と書いて「かん」と読むのですね。

お父さまが名付けたそうですが、すでに亡くなられており、真意はわかっていません。

今で言うキラキラネームというやつでしょうか。

ご本人は本名でデビューを望みましたが、和を「かん」と呼んでもらうには難しいと思ったのか、大文字のKANというローマ字読みにしたようですね。

KANというローマ字にしたことで、人の心に印象深く刻まれるお名前になりましたね。

KANさんの夢は野球選手だった?

KANさんの「愛は勝つ」が収録されている5作目のアルバムに「野球選手が夢だった」とあるようにKANさん自身小さい頃から野球少年でした。

読売ジャイアンツの王貞治さんのファンだったことを知る人も多いでしょう。

王さんより年齢が20歳以上も下であったKANさんは王さんの身体のことを以前から気にかけてました。

王さんは福岡ソフトバンクホークスの取締役会長でありご健在です。

子供の頃から憧れていた王さんより先にご自身が逝ってしまうなんて想像もしていなかったことでしょう。

KANさんの罹患したメッケル憩室(けいしつ)癌とは

KANさんが患っていた病気の「メッケル憩室(けいしつ)癌」とはどんな病気でしょうか。

がんは治る時代と言われるようになってもやはり難しかったのでしょうか。

KANさんは2023年の3月に「メッケル憩室がん」であることを公表されました。

まずメッケル憩室ですが小腸の壁の一部が外側に飛び出た突起物のことです。

胎児と母体を結んでいた卵黄管が出産後も残ったもので、約2%の乳児に生まれつきメッケル憩室があると言われています。

そこに癌が発症。悪性の腫瘍が発症するのはとても稀なケースだったようです。

症状はというと腹痛や吐き気、下血などらしいですが、KANさんは昨年の秋に腹痛がひどく続き診察を受けたとのこと。

当初は良性ポリープと診断されていましたが、痛みが続くため腹腔鏡手術にて腫瘍を切って初めてこの「メッケル憩室がん」であることがわかったように、見つけるのも困難な癌であることがわかります。

KANさんの親友は根本要、馬場俊英?

KANさんが病にふせていた時に会いたいと願ったのは長年音楽活動を共にしてきた仲間である大親友のスターダストレビューの根本要さんとシンガーソングライターの馬場俊英さんだったとか。

FM COCOLOの『Wabi-Sabi レディオ・ショー』で3人のラジオ番組をやっていました。

療養中もラジオ番組の企画や構成などを考えていたと言うのですから、KANさんの仕事への意欲や責任感の強さを感じますね。

治ったらこんなことをしよう、あんなことも挑戦したいと希望であふれていたに違いありません。

KANさん10月にはパリへ

2023年10月にはパリへ行ったことをX(旧ツイッター)に記しています。

KANさんにとって移住したこともあるパリは思い出の場所だったに違いありません。

過去に「フランス人になりたい」と語っていたこともあり、パリ移住は当時の夢だったのでしょう。

仲良しの奥さまとご一緒だったようなので、二人で思い出の地を訪れていたかも知れないですね。

思い出作りをしていたのかと思うと心が張り裂けそうです。

パリの音楽学校へ通っていらっしゃったので、また新たに音楽活動を夢見ていたのかも知れません。

パリが楽しくて仕方ない!KANさんのお茶目な一面がうかがえるポストも投稿していらっしゃいました。

今頃天国でフランス人になってるかも・・・?

KANさんの葬儀の遺影は夏目漱石?

KANさんはユーモアも満載でダジャレも大好き。

少年のような遊び心にあふれていた人だったんですね。

葬儀の遺影は文学の偉人である夏目漱石の肖像写真をオマージュした「夏目漱石風画像」だったとか。

この写真のクオリティーの高さがすごい!

何も言われなければ、「あ、夏目漱石」と勘違いしてしまいそうなほど。

これはご本人の意向だったそうです。

X(旧ツイッター)のKANさんのプロフィール画像がそうなのかな?と思われます。

このオマージュされた夏目漱石風画像を使用したメガネ拭きがツアーグッズとしてあります。

思わずクスっとしてしまいますね。

そんな風に人を楽しませることが好きだったんでしょう。

KANさんが振袖写真でお出迎え?

お客様を迎える入口にKANさんが60歳の還暦の記念に撮った振袖写真の等身大パネルを設置する予定でした。

なぜ還暦に振袖?と思いますよね(笑)

還暦に赤いチャンチャンコってなんだかね・・・ってことで真っ赤な振袖写真にしたよう。

近所の写真館で丁寧に説明して撮ってもらった振袖写真。

しかし、残念なことに等身大パネルが間に合わなかったようなのです。

それでKANさんの希望により棺のそばに3枚の振袖写真が飾られていたみたいですね。

この振袖写真はSNSには公開しておらず、ツアーに参加した人だけが見れた貴重なお写真だったとか。

ここにもKANさんのお茶目っぷりが表現されてますね。

KANさん葬儀の返礼品はPOPなポップコーン!

紙に入れ物からあふれ出てるポップコーン

遊び心はお通夜の返礼品にも表れています。

なんとPOPコーン!

しかも2日間しか日持ちのしないもの。

神妙な面持ちの来場者をクスっとさせてしまうようなエンターテイナー性がここにも。

自身の葬儀を演出し来てくれた人を楽しませるなんて、最後までとても強い方だったのだと伝わってきますね。

KANさんと35年の親交があったドラマーの清水淳さんのX(旧ツイッター)にもPOPコーンの写真と「賞味期限が2日間、最高だね!」というポストをされていました。

まとめ

ピアノの鍵盤

2023年11月12日に亡くなったKANさんについてまとめました。

メッケル憩室(けいしつ)がんを患い、仕事もいっさい手を抜くこともせず病気と闘っていらっしゃいました。

自分の病気と向き合い、死期を悟り、自分の葬儀について考え、自ら演出したKANさん。

KANさんの素晴らしいお人柄がすべてに表れていますね。

夏目漱石風の遺影、振袖姿、返礼品にPOPコーンなど、KANさんのユーモアにあふれた葬儀だったようです。

心配ないからね、愛があれば最後に勝つんだ!というメッセージの込められた名曲「愛は勝つ」はこれからも歌い継がれて行くことでしょう。

KANさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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